劣っていようが年取っていようがチャレンジしよう

40代後半からスカッシュ始めました

実は、子供の頃は活発に動く方ではなかったので、
当然、運動も進んではやりませんでした。
そうした状態で年を取っていったので、
スポーツマンとは反対側にいるような大人になってしまいました。

つまり、体を動かして楽しいとか、筋肉をつけると元気が湧く(?)とか、
そうした喜びをあまり経験することがなかったのです。

それが、ふとしたキッカケで40代後半になって、
事もあろうに非常にハードなスポーツといわれるスカッシュを
始めたんです。その時は、
もっと体力をつけたいとか、瞬発力が欲しいとか、
考えて始めたわけですが、思ったようにはいきません。

子供の頃から始めたという人は、実に動きがスムーズです。
ボールの動きを見て、ラケットとかフットワークが瞬時に対応しています。
つまり、目と手足が上手く協調しているというか、洗練されている、
ということなんです。年取るとこの訓練がなかなかできない。
協調の改善とか精錬がなかなか難しのです。

逆張り人生もまた人生

年取ると体力とかは下降曲線とよく言われます。
下降曲線とはずうっとスムーズに下降し続けることなんですかね。
誰が決めたんでしょうか?

トレードの世界でも曲線はチャートというもので扱います。
チャートでは下降局面でも上がったり下がったりしているんです。
まあ、あえて言えば、下降局面では上がってる大きさより下がっている方が大きい。
その結果、長い時間で見ると下がっているということなんです。

こういう見方で体力とかの下降曲線を見てはどうですか。
つまり、年取って下降曲線の中でも、上昇場面はあるんです。小さいけど。
つまり、スポーツでも年とっても上手くなる可能性はある。小さいけど。
こういう見方の方が適切なんじゃないかと思うんです。

また、トレードの世界ではいぶし銀のプロの中には、
下降局面でも買って利益を上げる人がいます。
こういうの逆張りといいます。
上昇局面の買いよりは利益が少ないかもしれません。
でも、訓練次第ではどんな局面でも買っていいということになます。

スポーツも同じで、何歳から始めてもいい。
ただ、年に応じた訓練や補助というのがあれば、
一定の成果、つまり上手くなれるんじゃないですか。
チャレンジするのを諦めてはいけないということです。

進歩は比較と劣等感からくる?

高校生の時、生物生態学の先生が書いた本を読みましたが、その中に、
比較と劣等感が大事、そこから進歩が起こるというのがありました。
この考えを打ち砕く別の考えにまだ出くわしていません。

これを年取ってから始めるスポーツに当てはめると、
衰え始めたからこそ始めれば、進歩のチャンスがある。
というように考えられないですかね。

目が悪くなれば、矯正する方法が色々考えられる。
体力が衰えれば、回復しようと色々考えられる。
だから、60の手習い、大いに結構。60のスポーツもOK。
もしかしたら、何かの進歩をもたらすかもしれません。
と考えています。

蛇足かもしれませんが、コンタクトレンズにコンピュータを、
仕込むというのも研究されているとか。これって、
どんな比較があり、どんな劣等感から来ているんでしょうかね?

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