今度は同じ大島でも、反対側に能島(のしま)水軍潮流体験船があるので、
体験しに行きました。村上武吉(たけよし)の居城だった能島中心に、
急な潮流を体験しました。
大島の宮窪にある体験船の発着場へ
もう一つの潮の急流を体験出来る能島水軍潮流体験船に乗ってみました。
来島海峡急流観潮船の発着場所が大島の西南部にある
道の駅、よしうみいきいき館の中にあるのに対し、
この能島水軍潮流体験船の発着場は東北側にある
村上水軍博物館の真ん前にあります。
潮流体験
潮流体験船に乗って、能島周辺の急な潮流の中を進みます。
島を囲っている急流を体験しました。
能島城が難攻不落というのは頷けます。
もちろん、穏やかな流れに面した部分もありますが、
そこは水軍が使う船着き場。もし敵が攻めてこようものなら、
3方から迎撃ということになるでしょう。
それでは、どんな潮流かをご覧ください。
どうですか。最高に早いときで時速18キロ(10ノット)とか。
自転車ですいすい進んでいるような感じですね。
ギリギリだよ。
これじゃ、YouTubeを利用した方が良いということかな。
村上水軍博物館にも寄ってきました
村上水軍博物館です。2年前はラッキーなことにサービスで入れていただきましたが、今回は入館料を払って入りました。入口のところに立っている像は村上武吉です。右手に持っているのはよく分かりませんが、推測ですが軍扇のようなものじゃないでしょうか。ただ、これは神主が使う大麻(おおぬさ)と似ているような…。全くの推測です。
村上水軍は海戦の戦術にも長けていたとか。
日露戦争を勝利に導いた作戦担当参謀の秋山真之も参考にしたほど。
水軍の船は大きく3種類に分けられます。
■大将が乗る安宅船(あたけぶね) 大きさは1000石積~
2000石積(今でいう150トンから300トン?)
■安宅船を少し小型化軽量化した関船(せきぶね)
安宅船の周りに配置される、快速船
■さらに小型で陣形の一番外の小早(こばや)
博物館の外に陳列されていました。全長11メートルくらいでしょうか。
この小早にだって何人も乗って、敵船に襲い掛かるんですよね。
なおそれぞれの船の概要図は以下のようになります。
そんな村上水軍も1588年の豊臣秀吉が出した海賊停止令で、
以前のような活動ができなくなり、武吉のいた能島村上家と
因島村上家は毛利藩に就職してしまうんですよね。
なお、朝鮮出兵では村上水軍は活躍しています。
来島村上氏の来島通総は600人の手勢を率いて朝鮮兵を
500人近く討ち取ったとか。通総は討ち死にしたが、
その時の功で御家存続とか。
また、博物館に李朝が差し出した朝鮮姉妹の掛け軸がありました。
何でも、この姉妹を頂いたのは武吉の二男坊で、
姉を側室にし、妹を家臣に嫁がせたとありました。
いまだに話題の尽きない村上水軍です。