今治のお遍路さんと霊場

今治の霊場

四国といえば、四国八十八ケ所の霊場(お寺)と、
全国から来て、それらを巡るお遍路さんが有名です。
今治にも霊場は6ケ所あり、時々お遍路さんの姿を見かけます。

この八十八ケ所の霊場は香川生まれの弘法大師が修行のために、
四国にある八十八ケ所のお寺を托鉢しながら巡ったことがはじまりで、
時を経て多くの一般の人も巡礼をするようになりました。

現在では年配者ばかりでなく、若い人もお遍路さんをしています。
依然として歩いている人もいますが、車で札所巡りをしたり、
若い人は自転車で回ったりというのが増えているようです。
さすがに歩いて全部回ると2か月近くかかり、宿泊費も相応に要します。

霊場は徳島県の霊山寺を第一番にして、県内23番まであり、
次いで高知県に16ケ所、
そして愛媛に26ケ所、
最後が香川で23ケ所あり、順番に札番号が振られています。

1番から順番通りに行くのは大変ですし、その必要もありません。
部分的に区切って行ってもいいのです。
例えば、松山地区の札所を回り、一旦遍路を止め、
また空いた日が出てくれば今治地区札所巡りをするという具合です。

お遍路さんの服装は、白装束に網代傘、袈裟に念珠等々があります。
歩いている人にはこのフル装備の人も見かけますが、
車で行っている人などは普段着に白衣を羽織っているような簡易版であったり、
自転車の人になるとサイクリストの恰好です。

札所寺院でお参りが済めば納経所でご朱印(スタンプ)を頂きます。
保存帖とか、場合によれば白衣に押してもらうというのもありです。
そして礼儀正しく寺院をでて、次の札所を目指します。
こうした遍路修行は弘法大師と共に行っていると見るのです。

因みに、今治の札所は以下になります。
・第54番札所 延命寺
・第55番札所 南光坊
・第56番札所 泰山寺
・第57番札所 永福寺
・第58番札所 仙遊寺
・第59番札所 国分寺
このうち、南光坊について少し書きます。

南光坊について

市役所や市公会堂のある一角から200メートルか300メートル離れたところに
南光坊はあります。つまり、市の中心にあり、何時でも参拝できます。
○○寺ではなく、ここだけは南光坊と、坊としているのはここだけです。

この南光坊の歴史は古く、実は大山積神社と深くかかわっています。
大三島の大山積神社が造営された700年前半、
付属寺院として24の僧坊も建立され、南光坊もその一つだったのです。
同時に、大三島という島では波風が強いとき祭祀が中断される恐れから
陸地部に大山祇神社の別宮が建てられました。

当時は神仏習合が進められており、
神社と寺院が一緒というのはよくありました。
南光坊のような僧坊は法楽所ともいい、
お経を唱えて神仏を楽しませるところだったのです。

また、弘法大師が弘仁年間(810年から824年)に別宮大山積神社を参拝して、
ご法楽を行ったとされています。
これで、大山積神社と弘法大師が繋がったわけです。

時は進み1200年前後ですが、
陸地部にある別宮大山積神社にも法楽所をということで、
南光坊を含む8つの僧坊が別宮大山積神社の近くに移されました。

その後、戦火で焼失するなどありましたが、結果として、
僧坊は南光坊だけ再建されました。
弘法大師との関係からでしょうか、
江戸時代には真言宗の仁和寺の下で地方の本寺として栄えたと、
近所の人が自慢げに言っていました。

そして明治初頭、神仏分離令がでて、霊場の大山積神社から
南光坊に移され第55札所となったのです。

現在も南光坊の横に別宮大山積神社があり、参拝することができます。

お遍路さんの続編記事

今治のお遍路:第54番札所と第56番札所

今治のお遍路:第57番札所と第58番札所

今治のお遍路:第59番札所 国分寺

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