まあ良かったです。その過去記事は、それぞれ、
・今治のお遍路さんと霊場
・今治のお遍路:第54番札所と第56番札所
・今治のお遍路:第57番札所と第58番札所
にあります。そして最後が国分寺です。お参りした時のことと、
お寺の由緒を蘊蓄がましく述べます。
今治最後の札所:第59番霊所 国分寺へ
今治では最後の札所である国分寺は家から遠くありません。
車で10分もかからないところです。住宅地の端っこのような位置です。
駐車場は20~30台は停まれます。
駐車場から小道を挟んでお寺です。
ドンドン進んでいきますと、本堂とか大師堂があるところへ。
本堂には薬師瑠璃光如来を祀っています。早速、合掌一礼しましたが、
よく見ると菊のご紋があります。これは13菊で、皇室の16葉八重菊とは違います。
後で蘊蓄を述べたいのですが、
他の寺院よりも天皇家とゆかりがあると思います。
すぐ横が大師堂です。
本堂と大師堂がある敷地の入り口近くに握手修行大師像があります。
表札には一つだけお願い事をするようにとあります。お大師様は忙しいからです。
私は願い事は色々あるんですが、そのうち一つを念じ、
大師様と握手をしました。その際、目と目をしっかり合わせたので、
叶えてくれると期待しています。お願いしますっ。
入り口から本堂までの道の真ん中あたりにお百度石があります。
近くが住宅密集地ですから、お百度参りをする人もいるかも。
蘊蓄:国分寺の由緒
国分寺というのは全国色々なところにあるのは皆さまご存知のはず。
実は、741年に聖武天皇が国分寺建立の詔をだし、
奈良の東大寺を総国分寺にして全国68カ所に国分寺が建立されることに
なったのです。そのうちの一つが今治の国分寺。
国分寺は国司の監督下に置かれ、国府区域内に置かれることが多かったのです。
国分寺は高い塔を備え、金光明経や法華経を納めていました。
今治も遠い昔は国府があったところで、愛媛の中心だったのです。
また、当時あった国分寺の塔は60メートルに達していたといいますから、
それは壮観だったでしょう。
聖武天皇は、それまで貴族のみの仏教であったものを、
広く民衆に仏教信仰を浸透させることで、国家安定を図ったのです。
鎮護国家という考え方だよ。
法律で治めるという律令国家とは違うみたいだネ。
仏教を国の支配の手段として使おうとの考えは、聖武天皇の娘である
孝謙天皇、称徳天皇(重祚)にも引き継がれます。
しかし、現実の世界は、外戚の藤原氏と皇族の間の権力闘争や
仏教界から野心家の出現で混乱し、
結局は天皇の血筋が天武天皇系から天智天皇系になることで、
律令国家に揺り戻されます。
この過程で全国の多くの国分寺は廃れていくんです。
道鏡のことだね。仏教界のトップの法王になり、
更には調子に乗って天皇になろうとした男!
今治の国分寺も廃れましたが、
弘法大師の四国巡礼の時に関係ができたんです。
その後の戦乱の時代の中、何度も焼失の憂き目にあったのですが、
その度に再興され、何とか愛媛における仏教信仰の中心的役割を果たしたんです。